⑭ 箱根権現の霊告
「親鸞聖人繪傳」専修寺関東別院 所蔵
20年におよぶ教化活動で、親鸞聖人の教えは着実に関東に浸透していきました。この間に、親鸞聖人によって栃木県高田に築かれたのが専修寺(本寺)です。そして1235年、ついに京都へ帰ることを決意します。63歳の頃のことでした。長い年月を過ごした関東の地にあえて別れを告げた背景には、それ相応の事情があったことでしょう。当時、関東には親鸞聖人を慕う弟子たちがたくさんいました。親鸞聖人の人柄に傾倒していた彼らは、必死で京都行きを引き止めようとしたにちがいありません。なぜ、関東を去らねばならなかったのか。その理由が解明されることで、新たな親鸞聖人の姿が見えてくるかもしれません。さて、東海道をくだり京都へ向かう道中、箱根を通過するときのことです。夜になってから箱根八里の峠にさしかかり、箱根権限の社のあたりに着く頃にはもう明け方でした。ようやくあらわれた人家に立ち寄ると、年老いた男が出てきて次のように言います。「たった今、権現様が夢に現れて、『自分の尊敬する人がいまこの路を通るから丁寧にもてなすように』とのお告げがあったんです。その夢がちょうど終わるか終わらないかというところに、あなたがこられました」と言って、親鸞聖人を家に招き入れ、ご馳走をふるまいました。この不思議な出来事を経て、再び京都の地へと帰ってくるのです。