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④ 六角堂の夢

「親鸞聖人繪傳」専修寺関東別院 所蔵

1204年、親鸞聖人が法然上人の弟子として学ぶ32歳の時のことです。ある日、夢の中で京都六角堂の救世観音(ぐぜかんのん)から、「仏道の修行者が、前世の因縁によって戒律を破り妻帯することになったら、私がその妻になって一生付き添い、命が終わるときは導いて極楽に生まれさせてあげよう」という意味のお告げを受けます。それまでの仏教は、僧侶は一切女性に近づいてはならないという厳しい戒律がありましたが、この夢をみたことがきっかけとなって、親鸞聖人は妻帯を決意します。世間からバッシングを受けることを承知の上で公然と妻帯を決行したのは、親鸞聖人が次のように考えていたからかもしれません。「阿弥陀仏に救われるのは、何も一部の僧侶に限られることではない。僧侶も在家も、男性も女性も、すべての人間がありのままで救われるのが真の仏法ではないだろうか。それならば、人を好きになり、結婚し、家庭をもつという、人間としてごく自然な行いをする者であっても当然救われるべきである。そうだ、私自ら公然と妻帯すればよいのだ。」正しい仏教のあり方とは何だろうかと問い続け、そんな理想の仏教を実現するにはどうすればよいかを考え続けた時、その一つの答えが、自らが公然と妻帯に踏み切るということだったのでしょう。その後、越後へ流罪となり、恵信尼(えしんに)と結婚することになるのです。