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念仏を称える思い

親鸞聖人が浄土教の祖師と定め、尊崇した七高僧のうちのひとり、善導大師を讃えて詠った和讃をご覧ください。

「阿弥陀仏の広大で確かな救いがなければ、いつどんな時にこの娑婆の世を超え出ることができるでしょうか。娑婆の世にまぎれて自ら救いの種の一つももてない私たちをたすけようという阿弥陀仏の恩を深く思い巡らせて、つねに阿弥陀仏の名を称え、念仏するべきであります」という意。私たちは、「娑婆」という世界で日々迷いながら生きています。いや、迷っていることすらわからずに、現世利益を求めつつ念仏を称えているのが私たちです。この世への愛着はとても大きく、強く、来世のことよりも現世のことの方が中心で、自分の健康や長寿、出世のことなどで頭がいっぱいです。これらの願いは決して悪いわけではありません。ただ、もしそれが叶ったとしても、長寿ゆえに先に子や孫がなくなるという新たな苦しみが生じるかもしれません。それでも、その苦しみを我が身に受け入れられるようになるためには、真実の教えたる真宗の教えを聞くのがよいでしょう。真宗の要は、阿弥陀仏の救いのいわれを聞いて、阿弥陀仏の信心を我が身にいただくことです。たとえば、法事の時、僧侶の読むお経を聞き、法話を聞くことは、もちろんその礎となることですが、一方で、それは私たちがいかに自分に執着しているか、の発見につながります。法事で亡き人のためにお経を上げてもらうというスタンスでは、いつまでたっても自分の迷いや悩みにとらわれて、救われるべきは自分だったと気づかされることもありません。折に触れ、真宗の教えを聞くこと。そして、私たちを救うための真実の願いは「南無阿弥陀仏」として完成されていることに気づき、阿弥陀仏への慈しみを深く思いながら念仏を称えること。それによって、終わりのない悩みや苦しみのあるこの世を、前を向きながら豊かに生きていくことができます。



【和讃とは】
仏や経典などに対してほめ讃える讃歌です。
このホームページでは親鸞聖人の書いた「三帖和讃」等を中心に紹介していきます。

※今回の和讃は「浄土高僧和讃」(作:親鸞聖人)より