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阿弥陀仏だけを信じること

何か一つのことを信じ続けるということ。私たち人間にとって、なかなか簡単なことではないかもしれません。「これさえやれば、大丈夫」と念押しされても、どこかで心もとなさを感じたり、移り気で別の対象に目が向いてしまうというものです。そんなことを詠った和讃があります。

意味は、「かなしいことです。お念仏を信じる同胞が、日の良し悪しに一喜一憂し、仏をないがしろにして神々を頼り、占いや迷信に右往左往しています」。日頃から阿弥陀仏の慈悲をいただき、念仏を唱えて生活していても、一方で、念仏だけでは満足できず、長年続いている言い伝えや慣習に従ってしまう状況を、親鸞聖人は嘆いているのです。冠婚葬祭で日の吉凶を選んだり、引っ越しに際して風水を取り入れたり、恋愛や仕事の進退を占いに任せてみたり…。確かに、占いで背中を押してもらうことで不安が解消されることもあるでしょう。大切な行事の日に、日の良し悪しを選ばなければ、参列者に眉をひそめられるという事態にも陥ります。しかし、念仏に生きるものとしては、あくまでも阿弥陀仏を信じ、念仏に軸足を置いて生活するのが一番。振り返れば、いつもそこには阿弥陀仏が見守ってくれているし、これほど心強く、安心できる道は他にないのですから…。ひとつのことを信じ抜く大切さを、この和讃は改めて私たちに教えてくれているのです。



【和讃とは】

仏や経典などに対してほめ讃える讃歌です。
このホームページでは親鸞聖人の書いた「三帖和讃」等を中心に紹介していきます。

※今回の和讃は「愚禿悲嘆述懐和讃」(作:親鸞聖人)より