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⑪ 越後から関東へ

「親鸞聖人繪傳」専修寺関東別院 所蔵

越後での流罪は、5年で終わりました。1211年、親鸞聖人が39歳の頃です。しかし、すぐに京都へ帰ることにはなりませんでした。その頃、親鸞聖人夫妻には2人の子どもが生まれており、そのうち一人は、生後8ヶ月。交通機関が未発達なこの時代に2人の赤ん坊を抱えて長い距離を移動することは現実的ではありません。そんな折、京都から、恩師法然上人が亡くなったという知らせが届きます。便りを聞いた親鸞聖人は、悲しみで胸が張り裂けそうだったことでしょう。しかし、そうなってしまったからには、もう無理をして京都へ帰ることもない、とも考えました。しかも、京都ではまだ念仏が禁止され、「弟子は一箇所に集まらず、分散して教化にあたりなさい」と、かねてからの京都の恩師に言われてもいたので、京都へ帰るのを断念したというわけです。さて、これからどこへ行こうか、どこで念仏を広めようか。思いを巡らせる中、最終的にその地として選んだのが、関東でした。どうして関東が選ばれたのかについては、恵信尼の父のツテがあったからだ等いろいろな説がありますが、決定的なことはわかっていません。放免を言い渡されてから2年近く経ったころ、ようやく親鸞聖人一家は越後をあとにします。いよいよ、20年にもおよぶ関東での生活が始まります。