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言葉にできない力

仏教には、「正像末」という時代区分があります。「正法」・「像法」・「末法」の3つの時代で、正法は、釈迦の入滅後にその教えが正しく行われる期間、像法は、修行をする者はいるが、悟りを開く者がいない時代、末法は、教えのみがあって修行する者がおらず、悟る者もいない時代のことを指します。親鸞聖人が生きた時代は、末法に入った頃だったと考えられていました。その中で唯一救われる道、それが阿弥陀仏の本願だったのです。
和讃をご覧ください。

意味は、「濁りきった悪い社会に住む私たちですが、選び抜かれた阿弥陀仏の本願を信じていると、ことばにも心にも表せない功徳がその人の身に満ちる」。「五濁悪世」は、劫濁(時代、環境の濁り)、見濁(思想の濁り)、煩悩濁(悪徳がはびこること)、衆生濁(人間の質が低下すること)、命濁(人々の寿命が短くなること)の 5つの汚れに満ちている世界のことです。大地震といった自然災害から、凶悪な事件の数々、疲弊し荒んだ人々の心……。まさに、現代も五濁悪世そのものです。そんなとき、私たちが追い求めるのはきっと、「不可称不可説不可思議」な力、すなわち、いかなる言葉でもっても称賛することができない、説明できない、思い巡らすことができない力ではないでしょうか。日常においてはよくわからないものは忌避されますが、異常事態の前では、人間の理解がはるかにおよばないものにこそ頼りたくなるものです。阿弥陀仏の本願という人知を超えた力を信じることができたとき、「不可称不可説不可思議」な功徳がその身に満ちるのです。



【和讃とは】

仏や経典などに対してほめ讃える讃歌です。
このホームページでは親鸞聖人の書いた「三帖和讃」等を中心に紹介していきます。

※今回の和讃は「正像末法和讃」(作:親鸞聖人)より

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