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高田派の作法④「信心」

 
 
一般に考えられている信心というのは、自分が何かを信じる、つまり、信じる自分は間違いのないものであって、問題は信じる対象が信じられるモノか否かというところにあるようです。
真宗でいう信心とは、阿弥陀仏より賜った信心です。また、「信心」は「まことのこころ」と読み、仏の誓願に呼び覚まされた真実の目覚めをいいます。それは、信じる自分の存在が自覚されることです。私が私について考えていたこと、その思いが破れること。それを通して、もはや私に働いているのは疑う機能だけであるという明らかな事実が見えてくることであります。「我」という思いが微塵にくだかれるのです。私があって、その私が信じるのではなくて、念仏を通して私の思いというものがいらない世界、阿弥陀仏の本願に素直に「ハイ」とうなずける世界です。私の私への思いの曇りがぬぐい去られたこころを、「信」というのです。
この「信」によって、私を取り巻く一切の物事、人々の本当の姿に会うことができるのです。私たちが感じていた人生の問題が、姿をガラリと変えるのです。信心とは、「われをたのめよ」という阿弥陀仏の真心が自分に届いたことをいうのです。
「念仏高田」という言葉に示されているように、まず念仏を称えるということがあって信が展開しますから、高田の宗義は、この「行信」のこころを正しく相承するものです。