救いは、悲しみと嘆きの先に
自分の至らなさ、罪深さを省みて、時に落ち込んだり、嘆いたりすることもあるでしょう。そんな人でも「大丈夫、安心しなさい」と、優しく励ましてくれる和讃があります。
大意は、「阿弥陀仏の本願は、煩悩の長い夜の闇を破る燈火である。さとりの眼がないからといって、悲しむ必要はない。阿弥陀仏の本願はまた、迷いの大海を渡る船である。罪や過ちが大きいからといって、決して嘆く必要はない」。「悲しむ必要もない、嘆く必要もない」というのは、開き直ることとは異なります。自らの智慧が深くないと気づいた時、私たちは悲しい気持ちになるでしょう。罪深く、過ちが大きいとわかった時には、嘆きたくもなるでしょう。「でも、安心しなさい。悲しみや嘆きの先にこそ、阿弥陀仏の救いがあるのです。そしてそのとき、救いの光はすでにあなたたちに届いているのですよ」と親鸞聖人は諭しているのです。沈んだ心がふっと軽くなる、そんな和讃ではないしょうか。
【和讃とは】
仏や経典などに対してほめ讃える讃歌です。
このホームページでは親鸞聖人の書いた「三帖和讃」等を中心に紹介していきます。
※今回の和讃は「正像末法和讃」(作:親鸞聖人)より