永遠を見通す、阿弥陀仏
阿弥陀仏は、私達人間の行いをはるか昔から見続けてきました。はるか昔とは、いったいどのくらいの長さなのでしょうか。以下の和讃を見てみましょう。
親鸞聖人が書いた「浄土和讃」にある和讃です。「阿弥陀仏が仏となってから十劫の時間が経った。その光はとどまることを知らず、世の中の闇を照らし続けている。」と訳せます。「劫」とは、とても長い時間の単位をあらわします。縦と横の長さがそれぞれ40km以上の城壁の中を芥子の種で満たして、100年に一度1つ取り出し、それを繰り返してすべての種を取り尽くしても「劫」には満たない、それほど長い時間。これを十倍にした十劫は、永遠といえるほどの年月です。阿弥陀仏はその十劫の間、休むことなく人間の闇を照らし続けてきました。現代の私達といえば、地球の資源を無駄遣いしたり、化学物質で空気を汚したりと地球にとっては身勝手な行いをしているように思えます。「誰も見ていないから、大丈夫だろう。」なんて考えていても、ずっと昔から人間の行いを見てきた阿弥陀仏には、すべてお見通しです。「この地球に生きるのは、人間だけではありません。自分たちだけ好き勝手にふるまうことはあってはなりませんよ。」そう私達に語りかけているのでしょう。人間の過去、現在、未来を見通す眼をもつ阿弥陀仏の前にあって、私達がいまなぜこの地球に生かされているのかに少し思いをはせてみてはいかがでしょうか。