悟りの極致は、念仏を称える
これは親鸞聖人の書いた「浄土高僧和讃」にある和讃です。「本師龍樹菩薩は、大乗無上の法(大乗という、この上なくすぐれた法)を説いて、歓喜地(悟りの境地)に到達するには、ひたすら念仏を称えることを勧めた」という意味。龍樹菩薩は、親鸞聖人が選んだ七高僧の中の一人です。「自らが阿弥陀仏の本願を信じた上で、念仏し生きたこと」がその選んだ理由となっています。龍樹は、当初自分の力によって悟りを得るために、命がけで修行に励みました。しかし、修行に励めば励むほど、己の限界や弱さ、また自力を尽くすことの虚しさを痛切に思い知らされます。そのとき、自分の力ではなく仏の力によって救われる他力本願の教えに行き着きます。「他」とは阿弥陀仏をあらわします。阿弥陀仏の本願、すなわち阿弥陀仏が苦しみから逃れられない人間を救済するという約束を信じ、念仏をひたすら称えていくことこそが悟りの境地にいたる唯一の方法だと気づくのです。自分の限界や弱さを受け入れた後、念仏を称えるその想いは、きっと混じりけのない純粋さで満たされていたことでしょう。