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④板敷山(関東の親鸞)

稲田で念仏布教を始めた親鸞でしたが、中には、抵抗や妨害をする人もいました。その一人が、山伏播磨公弁円(やまぶしはりまのきみべんねん)です。山伏とは、山中で生活し、苦行を行い、呪術を磨こうとした人々です。念仏と呪術では教えも考え方も大きく異なります。親鸞の布教活動が進み自分たちの立場が脅かされることを危惧した弁円は、親鸞を憎く思ったのでした。

親鸞が49歳の秋のこと。弁円は鹿島方面などに向かうときに板敷山を通る親鸞を山中で待ち伏せし、殺害計画を立てます。しかし、すれ違いばかりでなかなか会うことができません。意を決し、直接稲田に出向くことにします。ところがいざ稲田草庵で親鸞と対面した弁円は、そのあまりにも優しい顔つきに心を打たれ、たちまち回心するのです。いままで一方的に恨んでいたことを後悔しては涙を流し、自分の心を素直に打ち明けました。その後、弁円は親鸞の弟子となったのです。

こうして、親鸞は自分をよく思わない人に対しても一人ひとりに真摯に向き合い、深く寄り添い、人々の心をつかんでいきました。親鸞の教えが広まっていった背景には、親鸞自身の人格的魅力という大きな力も働いていたのでした。