⑨ 越後への道
「親鸞聖人繪傳」専修寺関東別院 所蔵
承元の法難という仏教弾圧事件によって、法然上人と親鸞聖人は遠く離れることを余儀なくされます。29歳ではじめて法然上人に出会ってからわずか6年後のことでした。流罪という当時死罪に次ぐ重罪を負うことになった親鸞聖人ですが、「都から離れた越後という未開の地でも、きっと人々は生きることに悩みを抱えていることだろう。流刑という機会があったからこそ、仏の教えを説き、救うことができる。潔く赴こう」と、流刑という境遇を前向きに捉え、越後へと向かって行ったといわれます。親鸞聖人の越後への道筋については、当時の記録は全く残っておりませんが、京都から福井、石川へと日本海沿いに進んでいったとされています。越後へ旅立ってから京都にまた戻ってくるのは、およそ30年後の話になります。