⑤ 法然上人の肖像画
「親鸞聖人繪傳」専修寺関東別院 所蔵
1205年、親鸞聖人が33歳のとき、先生である法然上人からその著書『選択集(せんじゃくしゅう)』を書き写させてもらうことになります。『選択集』とは、言うなれば秘伝の書。当時、法然の弟子は京都近辺だけでも200名あまりいて、その他の地域に散在する弟子を合わせれば相当な数におよびましたが、法然上人が一生の間にこれを伝授した弟子は、親鸞聖人を含めてわずか10人ほどしかいませんでした。その写本に、書名と「焯空(しゃくくう)」という当時の親鸞聖人の名前などを法然上人直筆で書いてもらったのです。親鸞聖人は大変感激し、主著『教行信証』の中にもそのことがしっかりと書かれています。法然上人の肖像画を描いたときにも、そこに「南無阿弥陀仏」の6文字と「若我成仏(にゃくがじょうぶつ)・・・」という『往生礼賛』の文句を書いてもらいました。弟子が先生から直筆のサインの入った先生の肖像画をもらうこと。これは、言うなれば免許皆伝です。29歳で入門してからわずか4年で、法然上人の教えを理解したことを認められたというわけです。当時の法然上人の門下には、親鸞聖人よりもはるかに先輩の弟子がたくさんいたので、親鸞聖人に嫉妬をする人も少なくなかったでしょう。親鸞聖人がいかに優秀な人物であったかを、このエピソードからうかがい知ることができます。