「お陰さま」を忘れないで
終戦から70年以上が経ちました。経済の急激な復興により、あり余る物資や食料を目の前にして、着るものは「着捨て」、食べるものは「食べ捨て」というふうに捨てる事が平気になり、「捨てる」は当たり前という思想が常識になってきました。毎日の食事にしても、植物や動物のいのちのおかげで健康を保ち、自然現象とはいうけれど、太陽や空気、水の恩恵がなければ、1日として生きていく事は不可能であります。真宗教団連合の法語カレンダーに「当たり前と思っていたことが、有り難いと気づかされる」と掲載されていました。当り前が当たり前でなくなる。有ることが難しいと気づくことの大切さを、今更ながら思うことであります。
「おかげさま」という言葉は「お陰さま」の意で、見えないところの力の恵みに対する謝念のあらわれであります。私達はとかく、目先のことや目に見えるものにとらわれがちで、不平や不満に明け暮れ、「おかげさま」という思いを失ってはいないでしょうか。上に掲げた、親鸞聖人の和讃をご覧ください。煩悩にさえぎられて眼には見えないけれど、阿弥陀様のお救いの光りは休むことなく照らしてくださることに思いを致す時、必ず仏にならさせていただく身の幸せを喜び、世のため人のために報謝の生活をさせていただきたいものです。