阿弥陀仏を信じ、執着を捨てる
人は、誰でも何かに執着しながら生きています。それを自力で捨て去ることはどうにもできそうにありません。では、どうするか。親鸞聖人が次のように説いています。
これは、「浄土和讃」にある和讃です。意味は、「阿弥陀仏の悟りの光の輪が限りなく広がり、この光に包まれ触れた人は、有無の邪見をはなれることができる。だから、平等覚と呼ばれる阿弥陀仏を信じなさい。」有無の邪見とは、誤った考えや見解をあらわし、「有の見」、「無の見」に分けられます。「有の見」とは、さまざまなものに執着したり、永遠に続いて欲しいと願う心のことです。いつまでも長生きしたいだとか、お金持ちになりたいといった欲望や思い込みを指します。「無の見」は、その逆ですべてはむなしいと言い切ってしまうことで、これも「無」に執着している状態といえます。しかし、この有無の邪見を自力で取り払うことは、私達にとって困難を極めます。そこで親鸞聖人は、「有無」のどちらにも偏ることがない「平等覚(阿弥陀仏)に帰命せよ」と勧めます。あれかこれかに捉われず、一切の執着から離れ、平等無差別に私達を救う阿弥陀仏を信じること。そうすれば、幸と不幸、善と悪といったように、いずれか一方に執着することによって生じる迷いからも解放され、心に平安が訪れるのだ、と。