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専修寺の歴史

西暦 本山の出来事 日本史
1173 開山・親鸞聖人、誕生 1177
鹿ヶ谷の陰謀事件
1181 親鸞聖人、慈円の坊舎にて出家、比叡山で勉学する

「親鸞聖人繪傳」専修寺関東別院 所蔵
平清盛、亡くなる
1201 親鸞聖人、法然上人の門下に入る

「親鸞聖人繪傳」専修寺関東別院 所蔵
1200
鎌倉幕府、念仏宗を禁じる
1207 専修念仏が弾圧され、法然は土佐へ、親鸞聖人は越後へ流罪

「親鸞聖人繪傳」専修寺関東別院 所蔵
鎌倉幕府、武蔵の荒野を開墾
1214 親鸞聖人、越後より関東に入り、教化がはじまる

「親鸞聖人繪傳」専修寺関東別院 所蔵
1213
藤原定家、源実朝に万葉集を贈る
1226 親鸞聖人、栃木県高田に専修寺を創建

「親鸞聖人繪傳」専修寺関東別院 所蔵
1225
北条政子、亡くなる
1235 親鸞聖人、高田の専修寺を真仏上人(第2世上人)に任せて京都へ この頃「小倉百人一首」が著される
1248 親鸞聖人、「浄土和讃」「浄土高僧和讃」を作る 1247
宝治合戦で三浦一族、滅亡
1261 親鸞聖人、九十歳で入滅
1264
北条時宗、連署となる
1272 第3世上人・顕智、大谷の親鸞聖人廟造営に尽力
1274
文永の役(蒙古襲来)
1465 第10世上人・真慧、三重県一身田に無量壽院(現在の本山・専修寺)を建立 1467〜
応仁の乱
1478 専修寺、皇室の御祈願所に指定される 戦国時代へ
1488 北陸地方で一向一揆、高田派寺院は本願寺勢力と闘い、敗北 1491
北条早雲、伊豆を取る
1522 栃木県高田の専修寺が兵火により焼失 1523
毛利元就、安芸吉田城に入る
1548 第12世堯慧、三重県一身田の無量壽院(現在の本山・専修寺)に入り、高田派の中心とする 長尾景虎(上杉謙信)、越後守護代になる
1580 火災により一身田の専修寺、全焼 1582
本能寺の変
1588 本堂の再建、完成 豊臣秀吉、刀狩令を出す
1596 豊臣秀吉、一身田村のうち三五〇石を専修寺領として承認 1595
豊臣秀吉、関白秀次を追放
1600 津城主、上野城主等、落城の際に一身田に逃げて匿われる 関ヶ原の戦い
1645 一身田大火、専修寺伽藍全焼 宮本武蔵、亡くなる
1658 津藩より三万一千余の寄進を受け、境内と門前を拡張 1657
明暦の大火
1666 現在の御影堂、完成
水戸地方、大洪水
1704 現在の山門、完成
1703
近松門左衛門「曾根崎心中」を著す
1711 現在の鐘楼、完成
1709
生類憐みの令を廃止する
1748

現在の如来堂、完成

1751
第8代将軍・徳川吉宗、亡くなる
1828 紅葉堂を建立、安楽庵の庭を整備 井伊直弼、大老となる
1844 現在の唐門、完成
1841
天保の改革
1858 現在の御廊拝堂、再建 井伊直弼、大老となる
1861 太鼓門を三層に改築
1860
桜田門外の変
1880 明治天皇、本山専修寺に行幸 この頃、自転車の普及はじまる
1923 関東大震災により専修寺の関東別院・横浜別院、焼失 有島武郎、亡くなる
1962 親鸞聖人七百回遠忌法要の記念事業として宝物館を建立 1964
東海道新幹線が開通
2012 開山親鸞聖人七百五十回遠忌報恩大法会 ロンドン・オリンピック