⑬ 弁円の改心
「親鸞聖人繪傳」専修寺関東別院 所蔵
関東での教化が次第に広まっていくと、一方でそれをよく思わない人も現れました。筑波山を本拠とする修験道(しゅげんどう)の山伏(やまぶし)たちです。修験道とは、厳しい山岳修行により悟りを得ることを目指す宗教で、親鸞聖人の説く念仏の教えとは相容れないものでした。自分たちの地盤が荒らされたといい、親鸞聖人をひどくうらみます。やがて、弁円(べんねん)という山伏を中心として親鸞聖人の暗殺が企てられるのです。親鸞聖人がいつも板敷山を通って教化に向かうのを知っていた弁円は、何度もその峠で待ち伏せしました。しかし、なぜかいつもすれ違うばかり。「こんなにうまくはぐらかされるのは、どうも只者ではなさそうだ。よし、直接会いに行こうではないか」ついに、弁円は親鸞聖人がいる草庵へ乗り込むことを決意します。草庵に着くや、親鸞聖人は何もためらうことなく、客人として弁円を出迎えます。実に穏やかな顔をした親鸞聖人を目の前に、それまで弁円が親鸞聖人に抱いていた悪意はたちまち消え去ってしまいました。その後、弁円は親鸞聖人に帰依し、暗殺計画は失敗に終わったのです。1221年、親鸞聖人が49歳の時のことでした。