悪い人でも、救われる
煩悩にまみれていたり、悪い行いをした人でも救われるのか。親鸞聖人は、その答えを次のように詠んでいます。
これは、「浄土和讃」にある和讃です。「阿弥陀仏の光は何にもさえぎられず、すべての人が光の恵みを受ける。私達の思いのはるかにおよばない阿弥陀仏を信じなさい。」「有碍」とは、煩悩や悪い行いを指します。「有碍にさわりなし」とは、私達が煩悩や悪業によって救ってもらうのを拒もうとしても、むしろ阿弥陀仏の方から救いの手を差し伸べてくれるという意味です。自分は救ってもらえそうにないだろうと絶望を感じても、そんな人も見捨てず、平等に私達を救ってくれる存在。それが阿弥陀仏なのです。それゆえに、安心して阿弥陀仏を信じればよいのだと、親鸞聖人は勧めているのです。阿弥陀仏の懐の深さ、やさしさをここに垣間見ることができるのではないでしょうか。