自分の内側に、目を向ける
一見、賢そうに、いい人そうに、あるいは頑張っているように見える人でも、その心の内は、欲望、ずるさ、嘘ばかりで満ちている。そんなことを詠ったのが以下の和讃です。きっと誰にも思い当たる節があるのではないでしょうか。
これは、親鸞聖人が書いた「正像末和讃」にある和讃です。意味は、「外側の姿は、いかにも賢人や善人、精進している人のように見せかけている。しかしその内側は、欲望と怒り、よこしま、偽りの心で悪賢さと嘘が体中に満ちている。」一般に、煩悩の代表は「貧(とん)瞋(じん)癡(ち)」です。「貧」はむさぼり、「瞋」は腹立ち、「癡」は愚かさですが、ここでは癡に替わり「邪偽」になります。これらの煩悩があることにより、体中が嘘、偽りで満ちあふれているのです。この和讃は、親鸞聖人が自身の内面を見つめつづったものであって、誰かを責めるために書かれたわけではありません。しかし、まさに自分に書かれたような言葉に感じられるのではないでしょうか。自分に対し厳しい目を向ける親鸞聖人は、きっと私達に、自分だって愚かで恥ずかしく、か弱い存在だということを知らせようとしてくれたのでしょう。そしてその心が、阿弥陀仏を信じる他力信仰へとつながっていくのです。